「自立」するって、何でも「一人」でできるようになること?

私がオンラインで始めた「Sfaffolding」というサービスは、発達凸凹などのある子ども達の「自立」を目標にしています。さっと読んだらすっと流れてしまう言葉ですが、「自立」するって一体どういうことでしょうか。

私たち日本人は子どもの時から「他人様に迷惑をかけるな」と言われて育った人が多いと思います。そういう文化の中で、何となく人に頼ったりすることは「甘え」で「よくないこと」と思って生きてきました。

もうかなり前ですが、ある青年が単身でイラクに子ども達の医療支援のために入国し人質になった出来事から、「自己責任」という言葉が頻繁に使われるようになりました(詳しくは下記リンクをお読みください)。その言葉はどんどん社会に浸透していって、今や国の政策の基本方針になっているのでないかと思えるほどです。「生活保護バッシング」を始め、福祉制度を使うことさえ躊躇うほど「何でも自分でやれ」という圧力、一体いつから日本はこんなに冷たい国になったのだろうと思ってしまいます。

発達凸凹などのある人の支援で大切にしていることは、「生きていくためのスキル」を粘り強く身につけて、自分のスキルとして使えるようになることです。もちろん、それだけでは本人の苦手さを全て解決するのは無理ですから、その人の苦手さが少しでも緩和されるように周りの環境を調整することも必要です(これは「合理的配慮」と言われ、現在では公官庁、公立学校のみならず、民間企業、私立学校でも提供が義務になっています)。

リーフレット「令和6年4月1日から合理的配慮の提供が義務化されました」

上のことを支援した上で、もっと大切だと思うことは発達凸凹などのある人が、周りに「ヘルプを求める力」をもつことだと考えています。自分の凸凹をよく知り、自分は何が得意で何が苦手かを知り、苦手なことに関しては周囲に「手助けしてください」と言えること、これは合理的配慮の根本にある考え方でもあり、発達凸凹などのある人の「生きる力」になるものだと考えています。

この「ヘルプを求める力」は今の特別支援教育でも重要視されていて、先日下のような本も出版されました。

https://amzn.to/3HeDqlU

「ヘルプ」を求めることは決して簡単ではありません。未だに「合理的配慮はずるい」などと言う人がいる状況では言い出すこともむずかしいでしょう。

でも、よく考えればこれは全ての人に共通する問題ではないでしょうか? この社会に一人で生きている人など一人もいません。誰も近寄れない山奥で独りで生活するならともかく(といっても、現代に全てを独りでやれる能力のある人はほとんどいないでしょう)、私たちは常に誰かしらの助けを受けています。今日の食材さえ自分で作ってはいないし、着ている服も誰かが仕立ててくれたものです。住んでいる家も誰かが建て、店でスマホで物が買えるのも誰かが膨大なネットワークを維持してくれているからです。そうです、私たちはみんな誰かに頼り、助けられ生きている、それが人生の現実だと思います。

私は昔、有名な先生から以下のように教えられました。

「自立するとは、上手に人に依存することだ」

まさにその通りだと思います。上手に人に頼り、助けてもらい、依存して生きていく、これが「自立すること」だと私は思います。
発達凸凹などのある人に限らず、現代を生きる全ての人に求められる力だと思います。

昨今、何かある毎に「迷惑だ」という言葉がネットなどで飛び交うようになりました。「デモがうるさくて迷惑だ」「電車に飛び込んで遅らせやがって迷惑だ」…、日本人の「迷惑をかけるな」という教育(むしろ躾)の暗部がどんどん拡大しているようで恐ろしささえ感じます。
人は誰かに助けられて生きている以上、常に迷惑をかけている存在です。人は誰かに迷惑をかけなければ、人間らしく生きられない生き物なのです。

本来、日本語では「迷惑」はどういう意味だったのか、古語辞典で調べてみました。

迷惑(めい-わく)

どうしてよいか迷うこと。途方にくれること。
(旺文社 全訳古語辞典 第五版)

正しく、文字通りの意味だったのです。いつから今のような意味で使われるようになったのでしょう。

人生は常に迷い、途方にくれるものです。そんな暗闇の中でも自分らしく生活できるように、上手に人に迷惑をかけながら生きていきたいものです。